実家に帰省いたしました 〜便利と不便の境界線〜
先日、ムスコと一緒に実家に帰省していました。
と言っても電車で約1時間の距離に1泊だけ。しかしムスコ付きとなるとなかなか億劫でして。しかもただでさえ寒い季節。電車で約1時間の距離とはいえ、我が実家はかなりのどかで、今住んでいるところよりも気温は低く、極め付けに木造住宅。
『絶対寒い、服は何を持って行こう。かさ高いしああ、荷物作るの面倒くさい、、、』
なんとか気持ちを奮い立たせていざ出発。実家最寄りの地下の駅から外に出た途端
でーんと大きい山々が目の前に。
『ち、ちかい。』(いや、わかっていたけど)
遠くを見渡せる気持ちよさ
実家周辺は四方を山で囲まれており、それがこの時期見事に赤く色づいておりました。その山々の綺麗なこと。あまりに綺麗で思わず見渡せる限りの遠くの山も追いかけてふと気づく。
『最近こんなに遠くを眺めることってなかったなぁ。』
今住んでいる場所は街中なので、遠くを見ようにも家や建物がすぐそこに存在し、叶うこともなく、見渡しても山はない。私が視線を向けるその先には、ムスコやスマホやパソコンと、近距離に存在するものしかなかったかも。
アナログ人間の両親が二人だけで住んでいるので、もちろんネット環境も整っておらず、パソコンも見れないのでやたら外に出ていましたが、視線の先に自然があるって本当に癒される。空気も街中より寒いのに、そのキンと冷えた空気が決して嫌ではありませんでした。
澄んだ空気で呼吸できる気持ちよさ
実家は古い日本家屋。リフォームされてるところもありますが、客間が畳なので布団を敷いて眠ることに。しんと静まった部屋で眠りにつこうとしてはたと気づく。
『呼吸が全然苦しくない。』
今のマンションは気密性の高い鉄筋コンクリで、空気は乾燥しており、寝るときには加湿器とマスクが欠かせない。それでも気管支の弱いムスコは毎晩咳で目覚めます。
日本の風土にとって、畳は理にかなっていて、夏の間に湿気を吸い込んで、冬の乾燥した空気の時期に、その湿気を放出してくれるそうです。実家では加湿器もありませんがムスコは一度も起きることもなく、朝までぐっすり寝ていたので、きっと呼吸も楽だったのでしょう。
本当の便利と不便って?
実家に住んでいた頃は、マンションに憧れていました。
結婚当初は、街中に徒歩でもいけるマンションに住めることが嬉しかったのですが
でもフローリングはすぐに埃も立つし、窓を開けても綺麗な空気が流れてこないので空気清浄機も必要。住宅が密集しているから夏は風通しも悪く、窓を全開にすると、防犯の面からも危ないからと基本的に窓を閉めてずっとエアコンをつけっぱなし。外はヒートアイランド現象というのか、とてもじゃないけど日中で歩けない。
ああ、人間っていつからこんなにも多くのものを抱えなければ生活できなくなったんだろう。
それって、便利な生活なのかなぁ。それとも不便な生活なのかなぁ。
ううーんと、わからなくなってきた。
最近、都会に住むことの意味を考えていた私。
そんな時に、実家で適度な湿気の中で眠れたことや、キンと冷えていて、でもどれだけ深く吸い込んでも、どこまでも澄んでいる空気の中で過ごせたこと。
遠くの赤く染まった、綺麗な山を見たときに、張り詰めていた目の奥がふわっと緩んだこと。
そんな環境に少しの間身を置いて、ますます『何が便利で何が不便なんやろ?』と考えてしまった。
もちろん、いいことばかりじゃない。実家はすきま風でなかなか暖まらないし、コンビニもスーパーも遠いから欲しいものがすぐ手に入らない。お洒落な雑貨屋も、美味しいレストランもない。
けれど、視界も空間も狭い中で過ごしていると、どんどん身体も思考も縮こまっている気がする。実家を訪れて、伸ばせたことで、縮まっていた自分に気づく。
子供ができたからかな、子供のためにはこういう環境がきっといいのだろうな。いや、私たち親のためにも。
しかしだからと言って、実際住んでみるとまた、『ああ、都会が良かった、、、』とか嘆いている自分も想像できたりして。うう、人間とは欲深い 涙。
読んでいただきありがとうございます。